聖書
私たちは聖書が神の霊感によって書かれた神様の言葉である事を信じます。
私たちは聖書が原典においては誤りのない神様の言葉である事を信じます。
私たちは聖書が永遠に変わらない神様の言葉である事を信じます。
私たちは聖書を通して神様が私たちが知っておく必要のあるすべての神に関する真理、救いに関する真理、信仰生活に関する真理を示されている事を信じます。
それ故に、私たちは聖書がすべてのクリスチャンの信仰の土台であり、最終的権威である事を信じます。
イザヤ40:8、詩篇119:9、2テモテ3:16-17、ヘブル4:12、1ペテロ1:2、2ペテロ2:21
(A) 三位一体の神
私たちは神様が唯一であり、生きたまことの神様である事を信じます。
私たちは神様が天地万物を造られ、維持され、支配される神様である事を信じます。
私たちは神様が永遠に変わらない神様である事を信じます。
私たちは神様が全能であり、聖なる神であり、義なる神であり、愛なる神である事を信じます。
私たちは神様が父なる神、子なる神、聖霊なる神という三位一体の神様であられる事を信じます。
創世記1-2、イザヤ6:3、40:28、44:6、マタイ28:19、ルカ1:37、ヨハネ10:30、1ヨハネ4:8、4:16、黙示録1:8、4:11
(B) イエス・キリスト
私たちはイエス・キリストが全能の神のひとり子である事を信じます。
私たちはイエス・キリストが聖霊によって宿り、処女マリヤより生まれた事を信じます。
私たちはイエス・キリストがこの地上において罪の無い人生を送り、父なる神のみこころに従って全人類を罪から贖うために十字架に掛かって死なれた事を信じます。
私たちはイエス・キリストが死んで三日目に死からよみがえり、天に昇り、父なる神の右の座につかれ、今も生きて私たちのために執りなしをしておられる事を信じます。
マタイ1:20-23、3:17、ヨハネ10:30、1コリント15:3-5、ピリピ2:6-8、ヘブル7:24-25、9:12-15、1ヨハネ2:1-2
(C) 聖霊
私たちは聖霊が三位一体の「霊なる神」、すなわち神様の霊である事を信じます。
私たちは聖霊が人を救いに導き、救われた者に「証印」として与えられている事を信じます。
私たちは聖霊が次のように働かれる事を信じます。
・ 罪を指摘する
・ みことばを思い出させる
・ 賜物を与える
・ クリスチャンを導く
・ クリスチャンを満たす
・ クリスチャンの成長を助け、キリストに似た姿に変えていく
創世記1:2、マタイ3:16、ヨハネ14:26、15:26、16:8、ローマ8:14、1コリント6:19、12:3、4-7、2コリント1:22、3:18、ガラテヤ5:25、エペソ1:13、 エペソ5:13
私たちは人が神によって、神のかたちに造られた特別な存在である事を信じます。
私たちは人が造られた当初は罪の無い状態で、神様との愛の関係にあったことを信じます。
私たちは人が神よりも自分の欲を選び、神に対し背きの罪を犯した事を信じます。
私たちはすべての人が生まれながらにして罪人であり、神の永遠の裁きに定められている事を信じます。
私たちはすべての人がその罪の故に救いを必要とするものである事を信じます。
私たちは神がすべての人を愛し、すべての人の救いを望んでおられる事を信じます。
私たちは人が罪人でありながらも、イエス・キリストの十字架の贖いの故に、救われて神との愛の関係を回復できる事を信じます。
創世記1-3、詩篇22:10、139:13、イザヤ43:4、ヨハネ3:16、ローマ3:23、8:38-39、エペソ2:1-10、1テモテ2:4
救い
私たちはイエス・キリストを罪からの救い主、人生の主として信じる事によってのみ救われる事ができると信じます。
私たちはイエス・キリストが十字架で全ての人の罪の贖いを成し遂げたと言う事を信じます。
私たちはイエス・キリストが十字架で流された血潮によって人の罪がすべて赦される事を信じます。
私たちは人はその行いによって救われるのではなく、神の恵みにより、信仰を通して救われると信じます。
私たちはイエス・キリストを信じた時、罪に死に、神の子どもとして新しく生まれ変わる事を信じます。
私たちはイエス・キリストを信じる事によって、永遠のいのちが与えられ、御国を相続するものとされる事を信じます。
ヨハネ1:12、3:16、使徒16:31、ローマ3:24、28、6:4-8、22-23、ガラテヤ2:16、エペソ1:10-11、2:8、ヘブル9:14、1ヨハネ1:7
クリスチャンライフ
(A) 信仰
私たちは、信仰とは私たちのためにひとり子をささげてくださった父なる神様の愛と、私たちのために命を捨ててくださったイエス様の愛への応答として、神様を愛し、信頼し、付き従っていく事だと信じます。
私たちは、信仰とは日頃の聖霊の導き、語りかけにYesと答え、従う事だと信じます。
私たちは、信仰とは神様のすべてを信じることだと信じます。
私たちは、信仰とは私たちの行ないに現われるべきものだと信じます。
マタイ12:31、マルコ11:22、ヨハネ14:15、ガラテヤ5:16-26、ヘブル11:1-40、12:2-3、ヤコブ2:14-26、1ヨハネ4:7-21
(B) クリスチャンの使命
私たちは、クリスチャンの使命はキリストの弟子となることだと信じます。キリストの弟子とは、キリストを信じ、バプテスマを受け、キリストに従い、成長し続ける者です。
私たちは、クリスチャンの使命はキリストの弟子を作ることだと信じます。弟子作りはキリストを伝え、バプテスマを授け、キリストに従い、成長し続ける事を教え、導くことです。
私たちは、クリスチャンの使命は世の中でクリスチャンとしての違いをポジティブな形(世の光、地の塩、キリストの香りなど)で表す事だと信じます。
マタイ5:13-14、13:23、28:19-20、使徒1:8、2コリント2:15、エペソ2:10、4:13-15、5:1-11
(C) 教会
私たちは、教会がイエス・キリストを信じ、従う人による、生きた共同体である事を信じます。
私たちは、教会の使命は弟子を作り、育てる事だと信じます。
私たちは、教会はイエス・キリストをかしらとし、神のみこころを行なう事を目的とすると信じます。
私たちは、教会がクリスチャンの信仰生活(礼拝、伝道、奉仕、交わり、訓練)の中心の場であると信じます。
私たちは、教会がクリスチャンにとって信仰の成長の中心の場であると信じます。
私たちは、教会が一人一人が賜物を用いて機能し、愛によって組み合わさる事によって成長すると信じます。
マタイ16:18、28:19-20、使徒2:41-47、1コリント3:6-7、12:12-27、エペソ1:23、4:16
(D) バプテスマ
私たちは、バプテスマを受けることが「正しい事」だと信じます。
私たちは、イエス様がバプテスマを受けなさい(授けなさい)と命令された事を信じます。
私たちは、バプテスマは人を救うものではなく、イエス・キリストを罪からの救い主、人生の主として信じて救われた者が自らの意思と決断によって信仰を神と人との前に告白する行為である事を信じます。
私たちは、バプテスマが罪に死に、新しく生まれ変わったという霊的に起こった事の象徴的な儀式であると信じます。
私たちは、イエス様を受け入れる行為とバプテスマとは切り離す事のできない一つの継続的な出来事であると信じます。
マタイ3:15、28:19-20、使徒8:12-13、36-38、9:18、16:31-33、ローマ6:4-8、1ペテロ3:21
(E) 聖餐式
私たちは、イエス様が「わたしを覚えてこれをしなさい」と聖餐式を命じられた事を信じます。
私たちは、パンはイエス様の引き裂かれた体、杯は私たちの罪を赦すためにイエス様が流された血潮の象徴である事を信じます。
私たちは、聖餐式はイエス・キリストを信じる全ての者がイエス様の十字架に表された神様の愛を覚えるための行為である事を信じます。
私たちは、聖餐式に預かる者は、神様の愛に改めて立ち返り、その愛を告げ知らせる者として遣わされ、出て行く事を信じます。
マタイ26:26-29、マルコ14:22-25、ルカ22:19-20、1コリント11:23-28
(F) 聖霊の賜物について
私たちは、神様がそのご計画に従って、聖霊を通して、信じる一人一人にそれぞれの賜物を与えると信じます。
私たちは、賜物を与えられている者は、賜物を管理し、賜物を用いて神と人とに仕え、神の栄光を表すべきであると信じます。
ローマ12:3-8、1コリント12:1-31、1ペテロ4:10

異言について
私たちは、聖霊が与える賜物の一つに異言の賜物があると信じます。
但し、これは信じる者全てに与えられる賜物ではないと信じます。
私たちは、異言の賜物は他の賜物に優るわけでも劣るわけでもない、同等の賜物であると信じます。
私たちは、異言の賜物は個人的に神様との間で用いる時に、語る者に恵みをもたらす物であると信じます。
私たちは、異言の賜物は公の場で用いるためには必ず通訳者がいなければならないと信じます。
1コリント12:4-11、14:1-40
いやしについて
私たちは、神様にはどんな病をも癒す力がある事を信じます。
私たちは、信仰が必ず病を癒すのではなく、神様がその完全なご計画の中で決められた時に癒されるという事を信じます。
私たちは、病の中でも神様が愛とあわれみによって最善をなしてくださる事を信じます。
マタイ8:1-13、9:27-31、ローマ8:28、1ヨハネ5:14